Musik und...

2017年5月に入手したNUVOから始まったフルートと、再開したViolaとのお付き合いメモ。個人的な記録なので、突然公開停止にする可能性も有り。

鋸引道場・5月も休講に

サウナ帰りの昼下がり、心地よく昼寝していたら、いきなり携帯に電話。

 

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電話に出たら、鋸引道場からであった。

「緊急事態宣言が解除されていないので、5月のレッスンもお休みです」

と…

 

あ、来週レッスン、と思っていたけれど、その2回がキャンセルに。

 

6月の予定は決まってまして~、と立て続けに言われたが、寝ぼけたアタマでちゃんと入っているのか自信が無い。

ハイハイ20日と27日ね~、と返したが、なんせ寝ぼけている。合ってるかな。カレンダー見たら、両方土曜日だから、多分合ってるだろう。

 

「休講が長くなりましたので、オンラインレッスンもありますけど~」と切り出された。おいおい、いきなり言うなよ、すぐに決断はできないし。

まあ、6月のレッスン再開を待つ、でいいや。

3年=続くか辞めるかの節目説はあながちウソじゃない

今日は何の日かなぁ、と思えば、笛と出会った記念日だった。

 

lebentur105.hatenablog.com

 

あれから3年。

どうなっているか、といえば、

・笛道場には在籍している

・だけど、道場は2月以来休講中

・そして休講になって以来笛は99%吹いていない

という状況だ。

 

技術的なことを言えば、

・まったく音が出せない

ところから、

・一応、「普通の運指」で「標準的な範囲の音」は出せるようになった

 

曲の進み具合でいうと

・超入門用のテキスト 1冊

・アルテス教本 1巻 (シンフォニア版)

ガリボルディ op. 132

・ケーラー op.33-1 ※イマココ

 

良くも悪くも、ケーラーが自分の実力、それより上でも下でもない、というのが偽らざるところなのだろう。

特に、ケーラーの後半になってからは、少しやる気がだれていたり、練習する時間を自発的に取らなくなったので、進度が遅くなっている。

1ヶ月に1曲目安だったけれど、2-3ヶ月に1曲ペースになっている。

まあ、それが実力なので、焦って合格にしても仕方がない。

ただ、同じ曲をやり続けると、飽きが来るし、つまんねぇなあ、という気持ちも湧いてくる。

 

で、ここからもうちょっとふんばるかどうか、が分かれ目なのだろう。

「一通りできるようになった」(けど、深みに至るまでのモチベーションが出てこない)となれば、ここでポイっとお別れしてしまうのだろう。

しんどいけれど、深みにハマる覚悟を決めれば、「3年経ったらお別れ」にならずに済む。

 

笛道場、当分休業だってよ

笛道場から電話がかかってきた。

個人的には6月くらいから行けそうだったら行くかなぁ、5月は休会しようかなあ、と思っていたので、前回の連絡で「5月15日以降再開の予定」と言われたことも忘れていた。

 

lebentur105.hatenablog.com

 

今回の連絡はなかなか悲惨で、「当面は休業」ということだった。

既に、3ヶ月くらいは「特別休会」ができるらしいので、まあ、様子を見て6月復帰か7月復帰か決めればいいのだが…

しかし、そんな状況の中でも「ハッピョーカイ」についてのアナウンスを忘れないところは凄いな、と思ったりした(苦笑)。

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道場休みでも発表会は予定通りやるんだろうなぁ

コロナ禍の影響で、笛道場も鋸挽道場も4月は休み。

笛道場はもともと4月の半ばに発表会が予定されていたが延期になった。7月になるとかいう話だが、今の調子だとそれもどうなるんだろうか…ただ、こっちは元々別件が4月の同日に入っていたので私個人は「不参加」できていたので、大勢に影響は無い。

問題はヴィオラの方だ。発表会は9月末…だけど、あんまり曲が煮詰まっていない。いつものことだが、10ヶ月くらい前から曲を決めているので、つい「まだ先だし」と思ってしまう。

しかし!今日は4月末。残り5ヶ月。あるようで準備期間短いぞ、毎回の事だぞ、と思いを改める。

今日は久しぶりに45分くらい弾いたけれど、C線の1=Dの音が取れないととことんスケールも総崩れになる。何故か最近Dの音で悩んでいる。

鋸挽道場から5月のレッスンの案内が届く

コロナの影響で遂に休業となった鋸挽道場。

ただ、緊急事態宣言の解除の有無関係無しに、GW明け、9日には道場を再開する心積りのようで、案内のハガキが送られてきた。

果たして本当に9日から道場を再開していいのか、レッスン生としては気がかりだ。

レッスン室って結構狭いし、換気よくないし。結構先生との距離近いし。

まあ、私の場合は、5月のレッスン、と言っても、23日と30日だったか、少し先だから、収束していたらラッキーなのだが…

練習時間=60分、ではない

以前、書いたことがあったかどうか記憶が無いが、昨日幼少時のピアノの思い出の話を書いた。

その中での刷り込みで、「1時間練習しないと遊びに行っちゃだめ!」というのがあり、つまり練習=60分、というパブロフの犬的条件反射が出来上がってしまった。

まあ、子供は集中力もないし、「カラダに楽器を馴らす」というのが目的の一部であるならば、60分というのは妥当な長さかもしれない。もちろん、演奏が好きで好きでたまらない、というような素養のある子だったらば、60分超えて弾いていてもへっちゃらなのだろう。身体機能を損なわない程度ならば、練習を続けてもいいだろう。

翻って、大人(成人)の場合。

「そもそも、練習する時間があるか」というのが切実な問題だろう。

勉強や仕事で自分の一日の時間がほとんど奪われている。帰宅したら深夜。週末も家事や育児、等々、優先すべきことがありすぎて、練習なんて、という状況の人も多いと思う。

勿論、だからといって「練習しなくてよい」というわけではない。ただ、練習しなければ上達しない、というシンプルな答えにたどり着くだけだ。

大人は頭では分かっている。練習しなければ上達しないことを。しかし、やる気が起きないとかそういうことは別問題なのでちょっと脇に置いて、「純粋に時間が取れない」時にどうするか、ということだ。

60分やればいい、というものではない。変な例かもしれないけれど、「ピアノの60分」と「弦楽器(ヴァイオリンやヴィオラ)の60分」は何となく違う。管楽器の60分もまた違う。なんというのか、「さあ曲弾くぞ」にたどり着く所要時間が違うのだ。個人的には、弦楽器が一番長い気がする。場合によっては、60分あっても曲の練習をしないで終了、とすることもある。

グルジア人先生には「練習シナイト上手くナラナイヨ」とは常に言われる。だけど、長時間練習しろ、とかは言われない。まあ、大人だから仕事とかやることがある前提というのもあるだろうし、なによりも「長けりゃいいってもんじゃない」ことが自明だからだ。「頭を使ってやれ、練習が終わったときに頭が痛くなるくらい、目的意識をもって弾く、音を出すのが真の練習」と、度々言われる。本当にその通りだと思う。

だから、5分でも10分でもいい、その時間を大事にして、「●●をするぞ」と決めたら、完全にそれに没入する、それくらいの勢いで取り組むのが大人の練習法なのだと身に染みて思う。

注意散漫とか、気が乗らないのに適当に音を出すのは下手すりゃ単なる騒音公害だ。

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こう思われないように、熱のこもった練習は短時間で効率的に切り上げましょう

幼少の思い出(ピアノのレッスンと練習)

 幼少の頃、「よくある習い事」の一環で、ピアノを習っていた。

最近では、「英会話」や「スイミング」、「バレエ」のほうが人気なのかもしれないが、我々世代では、小学校特に低学年では、女の子は「とりあえずピアノ」人口がとても高かった記憶がある。

当時はまだ教材もそんなに開発されていなくて、周囲の子みーんな同じだった。とりあえず「バイエル」から入って、バイエルが終われば「ツェルニー」をやる。しかもツェルニーは1冊ではない。100番、30番、40番…と続く。(確か、50番もあったかと記憶しているが、そんな全部やるのだろうか?)

 そして、ピアノを習っていた当時の苦行ともいえるものが「毎日1時間の練習」だった。母親が、「ピアノの練習をまずしなさい!それが終わらないと遊びに行っちゃだめ!」というのだ。つまり、60分の「ピアノ(の練習)」という試練が毎日待ち受けている。夏休みや年末など、祖父母の家に行くときだけは、祖父母宅にはピアノが無かったので練習が免除となる。それが嬉しかった(爆)。

いや、最初から練習が嫌いだったわけではない。そもそも、ピアノやりたい、と言ったのは自分からなようだ。まあ、子どもは音が出て楽しそうだったらやりたくなるでしょう。ひょっとしたら、最初に見たのがギターだったら、今頃はギターをベシベシやっていたかもしれない。

 誰しもそうだと思うけれど、「0」が「1」になる瞬間は苦しくも楽しいし、嬉しい。なので、「ドレミファが片手でも弾けた」とか、「両手で曲が弾けた」とか、誰しも知っている曲がそれなりにできるようになれば、満足感、達成感が得られる。これが、バイエル終了くらいまで。その後、「2」を「3」にしたり、「4」を「5」にするのは、地味な努力になるし、自分としても達成感や満足感が得られにくい。それに、当時は「みんなほぼ同じ教本」ということもあって、周囲と比べがちだ。同じ小学校入学時にバイエルを始めたとしても、進度が早く、かつそれなりに才能があって適応能力が高い子だと、サクサク進んで1年位でバイエル全曲弾いてしまうだろう。そんな中、「自分はまだバイエルが終わらない」とか「●●の曲が弾けない(弾かしてもらえない)」となったら、なんだか子どもであっても卑屈になってしまう。

 もう一つ理由があって、私自身はバイエルまではよかったが、その後の「ツェルニー」が大嫌いだった。練習曲(エチュード)、というものが生理的に嫌いなんだと気づいたのは大人になってからだが、ツェルニーの古典様式が好きじゃないのだ。そもそも「練習曲」ってなんやねん、「練習は練習、曲は曲」やろ、と今でも毒づきたくなる(苦笑)。そのツェルニーが100から始まり、なんだかんだで40番のどっかまで行った時点で私は高校生になり、「大学受験」を口実にピアノのレッスンを止めることに成功した(苦笑)。

 ツェルニーではない、別の教材を相手にしていれば、私のピアノ人生もちょっとは変わっていたかもしれない。でも、今でも多くのピアニストが愛好する「ショパン」を弾きたいか、というとノーだし、ピアノを再開したいとはついぞ思ったことがない。勿論、弾けないよりは弾けるほうがいろんな場面で便利なのだろうけれど、今の自分には「持ち運びできる楽器」のほうが性に合っているようだ。

ただ、4歳過ぎから12年以上鍵盤楽器の世界にいたので、「音楽」の世界ー和声であったり、旋律感、転調や移調、オーケストレーションのそれぞれのパートの意味合いなどは掴みやすい。あとは音感か。だから、幼少時のピアノ経験は決して無駄ではなく、有り難い部分も多分にあったんだ、と今では思っている。

 

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ちなみに、親の転勤などもあっていろんな先生に師事したのだが、そのうちの一人の方は、今現代音楽作曲家になってかなり活躍されているようだ。

久しぶりに楽器を手にする

キンキュー事態宣言なんかも出ているので、外出することもままならない。

当然、自分のため周囲のためには"stay home"が最善の策だ。

さぞかし練習に精が出るだろう、と思いきや…全然である。

4月初旬からほとんど楽器に触っていない。

笛なんて、最後のレッスンで吹いて以来吹いていないかもしれない。

 

そんな中、久しぶりに楽器でもやるかあ、と思い立ち、手にしたのは、やっぱりヴィオラだった。

 

演奏の上手い下手で収入や生活が左右されるわけではないので、練習したくないと思えばしなくても構わないのだ。その分、自分が願うパフォーマンスができなくなるだけのこと。

自分にとってヴィオラとはなんだろうか?

10余年、途中7年以上のブランクがあるけれど、「結局」また弾いていることを考えると、根っこの部分では「関わり続けたい」のだろう。

細く長く。「嫌いにならない程度」にうまく付き合っていけば、あと20年でもうちょっとは「一段高いところ」に行けるだろうか。

 

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アマオケでは「弾けなくても居るだけで有難がられる」なんていう自虐ネタもあるけれど、そういうところも含めてこの楽器が好きなのかもしれない…

緊急事態宣言発令によって鋸引道場も遂に休みに

平日の昼日中。

鋸引道場から電話がかかってきた。

なんじゃらほい、と思って電話に出ると、

「緊急事態宣言発令を受けて、教室も暫く休講といたします…」とのことだった。

致し方ない。

次のレッスンは5月下旬。

さて、それまでにちゃんと自宅で練習しているだろうか…?!(汗)

備忘録:C線を交換

2月に、調整に行った時から「このC線は死んでますね」と言われたし、替えよう替えようとは思っていたのだが…

ようやく。

スチールなので、替えてもすぐに安定するのはありがたい。これで音の伸びが復活。

そういや、昔々そのまた昔に買った弦の予備発見。

C線、ヘリコア。昔は上2本ラーセン、下2本ヘリコアにしてたっけ。張ってない弦も劣化するのかなぁ…しかし捨ててしまうのも勿体無い。